2018年
03月
05日
(月)
20:56 |
編集
3月1日、アジアの、板木研究者の皆様が、法藏館の板木蔵をご見学にいらっしゃいました。
金子貴昭(立命館大学准教授)先生の解説を、李増先(立命館大学専門研究員)が中国語で通訳。
翁連渓(故宮博物院研究員)先生や、グエン トゥアン クオン(ベトナム社会科学翰林院漢喃研究院院長)
先生が、たいへん関心を示しておられました。
翁先生いわく、故宮博物館には、24万枚の板木が保管されており、かなり広いスペースで
整然と整理保管しているそうです。
法藏館の蔵にあるのは、約1万点。それに比べれば僅かな数ですが、
商用の板木が使用されていたままの状態で保管されている事例は希有ということもあり、
とても珍しいと関心しておられました。
ただ、あまりの放置ぶりに少し驚かれたご様子。
2年に一度は燻蒸していかないと、すべてぼろぼろになってあしまいますよ、と
大変心配してくださいました。
「40年ぐらい、ずっとこのまま放置されていたんです」
と、告げたら、
「放置・・・!?」
「はい、放置。」
「40年・・・!?」
「はい、40年。」
翁先生、3秒くらい信じられないという表情でぽかんとされたあと、
「じゃあ、きっとモノの方が、環境に合わせたんだね」
と、にっこり笑顔で、グーサインをいただきました。
法藏館の板木は、アジアの研究者が瞠目するほど、
雑草のようにたくましい、板木たちであります。
編集T
金子貴昭(立命館大学准教授)先生の解説を、李増先(立命館大学専門研究員)が中国語で通訳。
翁連渓(故宮博物院研究員)先生や、グエン トゥアン クオン(ベトナム社会科学翰林院漢喃研究院院長)
先生が、たいへん関心を示しておられました。
翁先生いわく、故宮博物館には、24万枚の板木が保管されており、かなり広いスペースで
整然と整理保管しているそうです。
法藏館の蔵にあるのは、約1万点。それに比べれば僅かな数ですが、
商用の板木が使用されていたままの状態で保管されている事例は希有ということもあり、
とても珍しいと関心しておられました。
ただ、あまりの放置ぶりに少し驚かれたご様子。
2年に一度は燻蒸していかないと、すべてぼろぼろになってあしまいますよ、と
大変心配してくださいました。
「40年ぐらい、ずっとこのまま放置されていたんです」
と、告げたら、
「放置・・・!?」
「はい、放置。」
「40年・・・!?」
「はい、40年。」
翁先生、3秒くらい信じられないという表情でぽかんとされたあと、
「じゃあ、きっとモノの方が、環境に合わせたんだね」
と、にっこり笑顔で、グーサインをいただきました。
法藏館の板木は、アジアの研究者が瞠目するほど、
雑草のようにたくましい、板木たちであります。
編集T
2018年
03月
02日
(金)
18:54 |
編集
本日、『出雲鰐淵寺旧蔵・関連文書』(2018年1月刊)を編集された、井上寛司先生がご来社されました。
鰐淵寺(がくえんじ)文書といえば、中世から近世にいたる、地方の顕密寺院の様子がわかる、言わずと知れた第一級史料です。ただ、この文書の公開にこぎ着けるには、井上先生が何度も何度も鰐淵寺様に足を運んで信頼を得たからこそ歴史があったようです。
約40年前のこと、やっと先代ご住職の了解を得て、中世寺社史料研究の第一人者である
黒田俊雄先生に、文書を見てもらおう、という段取りになったそうです。
ところが、当日の天気は雨。
ご住職は、こんな天候では、文書を見せられない、と頑として固持。
井上先生が、そうは言っても、せっかく大阪からこのために黒田先生がいらっしゃっているのだから、
と何とか説得しようとしたけれども、それでもご住職のご意志は変わらない。
しかたく、黒田先生は、文書を見ることなく大阪へお帰りになられたそうです。
結局、黒田先生は、生涯、鰐淵寺に足を運ばれる機会がないままだったそうです。
その後、井上先生のご説得により、東京大学史料編纂所によって、文書の撮影が行われ、
黒田先生に写真をご送付されました。
黒田先生は、その写真版で、鰐淵寺文書を使ってご研究を進められたそうです。
そんなこともあって、井上先生は、鰐淵寺文書を翻刻解題できたことに、ひとしお感慨深いとのこと、
これで、ご自分のなかで一区切りついた、とおっしゃっておられました。
天下の黒田俊雄を門前払いなさるとは・・・・・・。
最初、聞いて驚きましたが、世俗の価値観と違う次元で、「文書を守らねば」という
先代ご住職のゆるがぬ信念あってこそ、
質量ともに第一級と言われる鰐淵寺文書が残されているのだとも言えます。
文書が世に残る、公開する、という道は、このような信念あってのことなのだなあと、
改めて頭の下がる思いがいたしました。
編集T
鰐淵寺(がくえんじ)文書といえば、中世から近世にいたる、地方の顕密寺院の様子がわかる、言わずと知れた第一級史料です。ただ、この文書の公開にこぎ着けるには、井上先生が何度も何度も鰐淵寺様に足を運んで信頼を得たからこそ歴史があったようです。
約40年前のこと、やっと先代ご住職の了解を得て、中世寺社史料研究の第一人者である
黒田俊雄先生に、文書を見てもらおう、という段取りになったそうです。
ところが、当日の天気は雨。
ご住職は、こんな天候では、文書を見せられない、と頑として固持。
井上先生が、そうは言っても、せっかく大阪からこのために黒田先生がいらっしゃっているのだから、
と何とか説得しようとしたけれども、それでもご住職のご意志は変わらない。
しかたく、黒田先生は、文書を見ることなく大阪へお帰りになられたそうです。
結局、黒田先生は、生涯、鰐淵寺に足を運ばれる機会がないままだったそうです。
その後、井上先生のご説得により、東京大学史料編纂所によって、文書の撮影が行われ、
黒田先生に写真をご送付されました。
黒田先生は、その写真版で、鰐淵寺文書を使ってご研究を進められたそうです。
そんなこともあって、井上先生は、鰐淵寺文書を翻刻解題できたことに、ひとしお感慨深いとのこと、
これで、ご自分のなかで一区切りついた、とおっしゃっておられました。
天下の黒田俊雄を門前払いなさるとは・・・・・・。
最初、聞いて驚きましたが、世俗の価値観と違う次元で、「文書を守らねば」という
先代ご住職のゆるがぬ信念あってこそ、
質量ともに第一級と言われる鰐淵寺文書が残されているのだとも言えます。
文書が世に残る、公開する、という道は、このような信念あってのことなのだなあと、
改めて頭の下がる思いがいたしました。
編集T
2017年
12月
26日
(火)
20:31 |
編集
法藏館が発行している小冊子『ひとりふたり・・』にて、クロスワードに回答して応募していただけたら、抽選でプレゼントをお送りするという企画がある。
今日、145号(報恩講を迎える)の、応募ハガキが、社内回覧で回ってきた。
回答以外にも、一文添えてくださっていて、読後感想だったり、生活の中で気づかれたことだったり、
お孫さんと一生懸命クロスワードを解いたというご様子だったり、法藏館へのエールを賜ったり。
拝読させていただいていると、本紙が、ささやかながら、読者の皆様の生活の一コマになっているのだなあと実感できて、
本当に励みになるのです。
全員当選! というわけにはいかないのですが、
ハガキをお送り下さる皆様全員に、
心から感謝の念をお伝えしたいと思っております。
編集T
今日、145号(報恩講を迎える)の、応募ハガキが、社内回覧で回ってきた。
回答以外にも、一文添えてくださっていて、読後感想だったり、生活の中で気づかれたことだったり、
お孫さんと一生懸命クロスワードを解いたというご様子だったり、法藏館へのエールを賜ったり。
拝読させていただいていると、本紙が、ささやかながら、読者の皆様の生活の一コマになっているのだなあと実感できて、
本当に励みになるのです。
全員当選! というわけにはいかないのですが、
ハガキをお送り下さる皆様全員に、
心から感謝の念をお伝えしたいと思っております。
編集T
2017年
12月
25日
(月)
16:52 |
編集
いよいよ年の瀬も押し迫り、編集部は必死の形相でゲラを著者に送ったり、校正者に回したり、としております。
年内に送るか、年明けになるかで、1週間の差が生じますから、これはもう必死です。
宅配業者さんも、とても混み合っているようで、佐川急便さんから、東北・北海道・九州への荷物は、年内お届け不可、と、連絡が入り、編集部は、阿鼻叫喚の声が飛び交いました。
よかった・・・。金曜日のうちに、新刊の著者代送を26件、発送しておいて。ぎりぎりでした。
土日をはさんで月曜発送だったら、えらいことになってました。
もっとも、ヤマト便さんからは、まだそのようなお達しがないので、大丈夫かも知れませんが、
こちらもいつパンクするかわかりません。
年末は、どこも、大忙しです。
年内に送るか、年明けになるかで、1週間の差が生じますから、これはもう必死です。
宅配業者さんも、とても混み合っているようで、佐川急便さんから、東北・北海道・九州への荷物は、年内お届け不可、と、連絡が入り、編集部は、阿鼻叫喚の声が飛び交いました。
よかった・・・。金曜日のうちに、新刊の著者代送を26件、発送しておいて。ぎりぎりでした。
土日をはさんで月曜発送だったら、えらいことになってました。
もっとも、ヤマト便さんからは、まだそのようなお達しがないので、大丈夫かも知れませんが、
こちらもいつパンクするかわかりません。
年末は、どこも、大忙しです。
2017年
10月
27日
(金)
16:30 |
編集
桜井俊彦先生のご著書『インド仏跡ガイド』『やわらか子ども法話』につづき、このたび、桜井鎔俊先生の名著『教行信証を読む』に索引を増補した、『新装増補 教行信証を読む』(2400円、2017年10月刊)刊行を祝って、各編集担当者および、社長・編集長もお招きいただきての慰労会がありました。
場所は、京都の出町柳にある印度料理店「MAAYA(マーヤ)」
今年の2月、桜井先生がインド仏跡旅行に行かれたとき、宿泊したホテルでたまたま出会ったのが、MAAYAのオーナーさん。
これまた、たまたま桜井先生が持っていた『インド仏跡ガイド』のチラシと書籍を渡したら、ホテルに置いてくださったというご縁で、このたび、打ち上げの会場になりました。
桜井先生は常に、財布や鞄の中に、チラシを入れて持ち歩き、つきあいで飲み屋に行かれても、さっと出して、10冊注文をいただいて来られたり、頭が下がるほどの営業をしてくださる先生です。
この日は京都でお泊まりになり、翌日は、ご出身地である石川県に赴かれ、北國新聞社の取材を予定。新刊紹介記事を掲載していただけることになっているそうです。さらに、七尾の方まで足を伸ばして書店営業にも行って下さるとか。
先生がおっしゃられるには、仏教を伝えたい一心とのこと。しかも、できれば子どもの頃から仏教の教えに触れてもらいたい。
大人になって変な政治家になってからでは遅いから・・・と、冗談めかしておっしゃっておられました。
その一心には、本当に、頭が下がる思いです。版元としても、うかうかしていてはいけませんね!
編集T
場所は、京都の出町柳にある印度料理店「MAAYA(マーヤ)」
今年の2月、桜井先生がインド仏跡旅行に行かれたとき、宿泊したホテルでたまたま出会ったのが、MAAYAのオーナーさん。
これまた、たまたま桜井先生が持っていた『インド仏跡ガイド』のチラシと書籍を渡したら、ホテルに置いてくださったというご縁で、このたび、打ち上げの会場になりました。
桜井先生は常に、財布や鞄の中に、チラシを入れて持ち歩き、つきあいで飲み屋に行かれても、さっと出して、10冊注文をいただいて来られたり、頭が下がるほどの営業をしてくださる先生です。
この日は京都でお泊まりになり、翌日は、ご出身地である石川県に赴かれ、北國新聞社の取材を予定。新刊紹介記事を掲載していただけることになっているそうです。さらに、七尾の方まで足を伸ばして書店営業にも行って下さるとか。
先生がおっしゃられるには、仏教を伝えたい一心とのこと。しかも、できれば子どもの頃から仏教の教えに触れてもらいたい。
大人になって変な政治家になってからでは遅いから・・・と、冗談めかしておっしゃっておられました。
その一心には、本当に、頭が下がる思いです。版元としても、うかうかしていてはいけませんね!
編集T