潮弘憲先生密教学芸賞受賞祝賀会
2017年 02月 22日 (水) 15:04 | 編集
2月22日、潮弘憲先生の密教学芸賞受賞祝賀会がありました。

『南山進流 声明大系』全2巻(1200頁、本体28000円)の編集は、
この祝賀会に間に合わせるために、ラストスパートをかけていたのですが、
おかげさまで、2月20日に無事、製本所より納品。
担当者としては、ホッと安堵。
会場にテーブルをつくっていただき、無事、ご参会の皆様にご披露することができました。

そもそも、音や声を言葉で説明するというのは、極めて困難。
にもかかわらず、なぜ、このような書が必要なのか。
下記の、潮先生の序文(一部抜粋)に、その思いがあらわれている。

「法会とは三宝または亡者に対する供養である。その供養の原語は梵語pUjで、尊敬する、崇拝する等の意味がある。もちろん声明も供養のためであるので、尊敬の念、敬いの念をもつてお唱えしなければならない。ところが、近年、声明のごく一部であるが、曲節が異なり合わないために、法会が雑然とし厳粛さに欠け、諸尊への供養にならないのではないかとさえ思える場面がしばしばある。(中略)
 そこで、三宝への真の供養のため、また法会で参詣者が諦聴(十法行の一)すなわち心を込めて声明を拝聴して信仰を倍増していただくためにも、進流の声明がどこの地域の法会であっても、そこで唱えられている声明にぴたりとそろえられるように、筆者のわかる範囲内で、異なる曲節のみであるが、数説をあげ校合させていただいた。
 向後、この本書が南山進流声明の興隆の一助になれば、著者として法幸この上もない次第である。」

諸尊への供養の声、参詣者の信仰心を倍増させるはたらき。
編集のご縁をいただき、心を澄ませて聴聞してみたいと思っている。
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編集T

地下ショーウィンドウ
2017年 02月 17日 (金) 14:47 | 編集
みなさま
暦の上では春に入りましたが、まだまだ寒い日が続いております。いかがお過ごしでしょうか。

さて、今月も地下ショーウィンドウの展示替えをおこないました。
テーマは「現代語訳で読む聖典」です。

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展開書籍は以下の通りです。

【最新刊!】
①『仏教史研究ハンドブック』 佛教史学会編 本体2,800円+税
 各地域・各時代の仏教史をコンパクトにまとめた入門書。これで聖典の成立背景や意義、内容もおさえられます。
②『新訳 往生要集 上』 源信著 梯 信暁訳 本体3,200円+税
③『新訳 往生要集 下』 源信著 梯 信暁訳 本体3,200円+税
 日本浄土教に大きな影響を与えた『往生要集』を新たにわかりやすく現代語訳した1冊。
【好評既刊】
④『ブッダの教え スッタニパータ』 宮坂宥勝著 本体7,600円+税
⑤『現代語訳 南海寄帰内法伝』 義浄撰 宮林昭彦、加藤英司訳 本体9,000円+税
⑥『現代の聖典 蓮如 五帖御文』 細川行信、村上宗穂、足立幸子著 本体3,000円+税
⑦『現代語訳 観無量寿経・阿弥陀経』 高松信英著 本体1,600円+税
⑧『現代語訳 大無量寿経』 高松信英著 本体1,600円+税

原文のままでは難しい聖典も、現代語訳ならばその内容や教えを味わうことができます。
上記書籍は総て店頭に並んでおりますので、興味をもたれた方は是非店頭へ足をお運びくださいませ。

営業部H

柳田聖山語録(その6)
2017年 02月 01日 (水) 20:09 | 編集
「歴史は、個人が負えるのか」

戦争責任の話。
臨済宗は、臨済号という名の戦闘機を寄贈した。
戦後、そうした宗門の戦争協力もふまえ、市川白弦の提言をはじめとして、
自宗の戦争責任について初めて言及したのが、臨済宗だ。
そうした過去に対する自己批判の姿勢が、
あるべき仏教者の姿勢として賞賛され、
今でもひとつの指針になっているようにも思う。

だが、柳田先生は言う。
「ならば、もくもくと南方の遺骨を拾い続ける山田無文はどうなのだ。
過去の批判と、骨を拾うのと、どちらが仏教者として貴いのだ」
もちろん、そんなことを問われても私に答えるすべもなく、
困って黙していたときに言われた一言が
「歴史は、個人が負えるのか」。

答えはない。けれども、いまだにずっと心にひっかかっている。

編集T



関心と知識の交点
2017年 01月 30日 (月) 19:34 | 編集
今日は、大内典先生に同行させていただき、一路、大阪へ。
大内先生のご研究に関心をお持ちになられた方に頼まれて、
ご紹介にあがったのだ。

音とモノとネットワークの文化史。
両者の関心と知識が惜しげもなく出しあわれ、
研究の視点がみるみる開かれてゆく。

優れた聞き手でもある研究者と優れた聞き手でもある読者が出会えば、
こんな化学変化が起こるのか!
すごい現場に立ち会えた。役得の一言。
できうることならば、自分も優れた聞き手としての
編集者になりたいものだと強く思ったのでした。

編集T

柳田聖山語録(その3)
2017年 01月 27日 (金) 12:08 | 編集
「お前が見たのは、虹じゃない。阿弥陀じゃ」

「雑談のできる編集者」になれ、という柳田先生から、実際に「雑談をせよ」と直裁に言われたこともある。
改めて言われると、これがまた困ったもので、いたしかたなく、最近ランニングをしていると言ってみた。
つまらないだろうと思っていたら、急に目をきらきらと輝かせて、「ほう」という顔をして続きを催促された。
そこで、次のような話をしてみた。


桂川沿いの自転車専用道路というのがあって、そこを走っている。
遠くに思えていた山が、走りながらどんどん近づいてくる景色が面白い。
この間は、走っている最中にお日様がさしつつも霧のような雨が降り出した。
すると、道の東側に続いている生け垣に虹がかかって、
ずっと、自分が走るのといっしょにその虹がついてきた。
虹はずっと空の彼方にかかっているものだとばかり思っていたので、
自分のすぐ隣を虹が伴走したのが、とても新鮮だった。



先生の目はいよいよ耀き、にたりと笑った。さあ、来るぞと思ったら案の定、こんな一言がかえってきた。
先生「お前が見たのは、何じゃ」
私 「・・・? 虹・・・です」
先生「虹? お前が見たのは、何じゃ」
私「・・・・・・だから、虹を見たんです」
先生「お前が見たのは虹じゃない。阿弥陀じゃ」

ぽかんとする私をみて、口を開けて笑っておられた。
今なら、言わんとすることが何となくわかる。
柳田先生は、曽我量深を通して、阿弥陀を語る方なのだ。


編集T

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