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香月院深励『観無量寿経講義』、出荷再開のお知らせ
2016年 07月 20日 (水) 16:56 | 編集

香月院深励著『観無量寿経講義 浄土三部経講義2』を出荷再開いたしております。

出荷停止から再開までの経緯もふくめ、下記のとおり、謹んでお知らせいたします。


***************************


 

本書刊行にあたって

 

 

本書に収められた講義内容は、香月院深励が一七九四寛政六)年の真宗大谷派の学寮講義・夏講を皮切りに一八一〇化七)年まで講義したものです。『真宗全書』第七五巻(護法館、一八九五年)に収載・活字化され、一九八二五十七)年、『香月院深励著作集』(全七巻)として、編集を加えて法藏館より復刊いたしました。三十年近く品切れ状況が続いていましたが、二〇一一(平成二十三)年、リクエスト復刊として再復刊の運びとなりました。

本書には、『観無量寿経』(序文)の「是旃陀羅」の語の注釈において、仏教本来の教えからして、また、現代の人権意識に照らして決して許されない表現が含まれています。一九二二(大正十一)年の全国水平社創立以来、『観無量寿経』の「是旃陀羅」の言葉をめぐって、西光万吉をはじめとする被差別部落の門徒が「耐え難い差別表現だ」として、東西本願寺に対して抗議の声をあげてきました。一九四〇(昭和十五)年には、全国水平社の松本治一郎委員長、井元麟之常任委員らが、東西本願寺の幹部と会談して「語句訂正」を強く求めるなど、長年にわたって議論し取り組まれてきた問題であります。そのなかで、本書に収載された、香月院深励の「観無量寿経講義」の講義内容もまた、その表現の差別性が問題視されてきました。にもかかわらず、このたび部落解放同盟広島県連合会よりご指摘を受けるまで、弊社ではその事実を認識せず、断り書きを付さないまま刊行してまいりました。これは差別の拡散、助長を招く重大な過失です。衷心より深くお詫び申し上げます。

「旃陀羅」とは、インドの古典語であるサンスクリット語の「チャンダーラ」の音写語です。厳しいカースト制度があるインドにおいて、チャンダーラはカースト外におかれて、人間とみなされず、交流を禁じられた不可触賤民として最も厳しい差別を受けました。バラモン教に基づくこのような不浄観が、仏教にも影響を及ぼし、仏典やその注釈を通して、日本にも伝わったのです。日本では、『観無量寿経』の序文に描かれた「王舎城の悲劇」の物語を通して、「旃陀羅」が広く知られるようになりました。父王を幽閉後、母殺しをしようとする阿闍世をおしとどめたのは、大臣たちが放った「旃陀羅に等しいふるまい」という言葉でした。そこからも、「旃陀羅」が強烈な差別対象であったことがうかがえます。そして、日本においては、『観無量寿経』の講義や注釈で、身分的に近いとされていた「日本の穢多」と同一視し、母殺しを平気で行う悪人とまで説明されるようになるのです。本講義における香月院深励もまた、その伝統的注釈手法をとっています。その結果、部落差別を助長する表現として機能したことも事実です。

平等を説き差別を克服する宗教的次元に立っていたとしても、社会通念に流されるのが凡夫としての私たちの本質です。また、いつ、いかなる場面で「賤称語」が差別の脈絡で悪用されるかわからないのが現実です。無知・無自覚もまた、差別の拡大・助長の一端を担っているといえます。

現代社会は、ますます人権意識の根幹がゆらぎつつあります。「弱者」や「悪者」を見いだしては、関係性を分断して差別し、排除する傾向が強まっています。生きている限り人は人を差別するものかもしれません。しかし、だからこそ、「差別するわたしたち」という存在のありかたを見つめ直し、誰も排除しない社会、差別なき社会の実現を読者のみなさまとともに願いつづける。これが、宗教書出版としての基本的立場であると考えます。

法藏館は、痛みをわかちあえる対話可能な社会の実現に向けて、深い自戒と願いをこめて出版活動に邁進していきたいと思います。


編集部T




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