真宗門徒の信仰の原点を求めて   蒲池勢至先生
2013年 06月 03日 (月) 23:34 | 編集
 昨年出版した『お盆のはなし』は大好評を博し、刊行後まもなく重版となった。著者の蒲池勢至先生は、真宗大谷派の住職であると同時に、真宗民俗学というマイナーなジャンルの研究者でもある。「民俗がない」といわれる真宗の民俗とは何か、なぜその研究を続けてこられたのか、お話をうかがった。

☆本当の真宗を知りたい

 通常の民俗学では真宗門徒には盆や正月はないという。しかし実際には、無いところもあるけれど有るところもある。そもそも真宗にとってお盆とは、正月とは、葬式とは、墓とは何なのか。
 先生は若いころ、僧侶としてお墓の前でお経を読みながら、こんなところで読んでも意味がないと思っていたという。葬儀にしても墓にしても法事にしても、教学が示す形と実際に現場で行われているものとは違う。なぜそうなのか、という問いに対する自分自身の答えを求めて、真宗門徒の実際の生活に立ち帰り、真宗の原点、真宗門徒の信仰生活の原点がどこにあるのかを明らかにしたかったそうだ。
 「現実問題として、真宗の僧侶でもお墓の前でお経も読むし、葬式だってしているわけです。そこが自分自身が分からないんですよね。真宗の葬儀はどうあるべきかとか、お墓にしてもないならないでいいんだけど、造るとするならどういうのが真宗的なんだろうか、とかね。
 たとえば一口に報恩講といっても、報恩講っていったい何だろうと思うわけです。本当の報恩講を知りたいという思いが非常に強くあって、寺院の前段階である道場とか、いまはダムの底に水没してしまった熱心な真宗門徒の村の報恩講に参加して体験し、真宗門徒としての姿を自分でつかみたかった。私にとっての真宗門徒の原点を知りたかったんです」

☆民俗が失われていく時代に

 真宗門徒とは何か。教学が問うときそれは地域性などは問題とされない。しかし実際には、愛知と滋賀と北陸、尾張と三河ですらその形は違う。真宗が根付いた地域や土着性、生活のなかにとけ込んだ信仰、門徒の生活様式や行事など、違うところも同じところもある。それが真宗の信仰からはずれているかといえばそうではなく、ちゃんと真宗としての伝統を守りながら伝えられている。それはきちんと評価しなくてはならないと先生はいう。
 「私が調査をはじめた昭和五十年代の初めは、民俗的なものが残っていた最後のギリギリの時代です。それから急速に世の中が変わる、平成になって一気に変わった。共同体が崩壊し、次世代に伝えるべきものが伝わらなくなり、結果として全部なくなってしまった。これが実感です」
 若いころの疑問やもやもやは、自らの足で調査し体験した真宗の原点を自分なりに理解したことで解消された。いまは、たとえば葬式の通夜など、とても重要な法座だと思っているという。
 「ご門徒さんにお祓いをして欲しいと頼まれたら、真宗ではそんなことはしないと突き放すのではなく、真宗の門徒としてのやりかたで対処します。それが現実であり、教えが問われる場なんです。批判されてもおかしいとは思いませんよ」

著者略歴
一九五一年生まれ。同朋大学仏教文化研究所客員所員、真宗大谷派擬講、長善寺住職。著書『真宗民俗の再発見』『真宗と民俗信仰』『阿弥陀信仰』ほか多数。蒲池勢至先生ご著書リスト

127『ひとりふたり‥』 2013 お盆号「著者に会いたい」に掲載
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