新人の独言(2):「けっきょく“人間”ってなんだ?」
2014年 07月 15日 (火) 22:54 | 編集
“い~い~な、い~い~な、に~んげんってい~い~な~~♪”

言わずと知れた『まんが日本昔ばなし』のエンディングテーマである。
私の脳内ではちょうど、でんぐり返ってバイバイバイあたりが再生されているところである……。

それはそうと、この歌の歌詞によるならば、“にんげん”とはうらやましい存在らしい。


“にんげん”。漢字で書くと“人間”であること、いまさら言うまでもない。

先日、ふとした拍子に『人間仏陀』という本の名を思い出した。
気になってネットで調べてみた。
別にまた『人間ブッダ』という名の本があることも知った。

失礼ながらいずれも読んだことはない。
書名から察するに、仏陀という存在を生身の“にんげん”として捉え、
その生涯なり、思想なりを述べたものであろう(?)。

で、この『人間仏陀』という本を捜していたところ、さらにまた『人間佛陀』(「仏」は正字体)という書名がヒットした。
タイトルはほぼ同じであるが、書かれている言語が異なる。
著者は于凌波居士。于居士は台湾で活躍した人。だから、この本は漢語で書かれている。

ところで、台湾は佛教がきわめて盛んである。
7月5日(土)・6日(日)の両日、龍谷大学大宮学舎にてBARCの国際シンポジウム
「日本仏教のゆくえ―その可能性」に参加し、著名な先生方のお話に耳を傾けてきた。
初日の発表では、台湾仏教に関して若干の紹介がなされたが、
その中で台湾仏教の一つのキーワードに「人間佛教」というものがあると教えられた。

ただ、この「人間佛教」なる語、“じんかんぶっきょう”と読む。“にんげんぶっきょう”ではない。
このことは紹介されていた先生ご本人に直接うかがったので間違いなさそうである。


漢語を学んだことのあるものにとっては常識に属するであろうが、
漢語で「人間」という場合、それはいわゆる“にんげん”ではない。
例えば、手軽なところで『漢典』の語釈を示せば――

[man’s world;the world] 指整个人类社会;世间

とある。
ちなみに、念のために『現代漢語詞典』を引いてみたが、これもほぼ同様の解釈をあげるだけであった。

「人間」とは斯様な意味であるがゆえに、漢文に「人間」とあれば、
それは社会とか世の中とかいう意に訳すことが多いようだ。
そして、日本人がこれを読む時には、漢音でもって“じんかん”というのである。

そうすると、「人間万事塞翁が馬」なることわざは、「にんげんばんじさいおうがうま」ではなく、
「じんかんばんじさいおうがうま」が正しいということになる。きっと……。

だから「人間佛教」とは現実社会に即した仏教みたいな意味となるのであろう(?)。

そういうわけであるから、『人間佛陀』の「人間」もやはり“じんかん”だと思っていたのだが、
どうもそれだと文意が捉えにくい。
そこで“にんげん”の意味で解釈すると、なんかしっくりくる気がする。
厳密なことは言えないが、「人間佛教」の時は“じんかん”、「人間佛陀」の時は“にんげん”みたいな感じがする。

ん~~……、これははなはだややこしい問題である。
なぜって、同一表記なのに、文意によって、この場合は世の中の意味だから“じんかん”だとか、
ここは“にんげん”とか考えながら読まないといけないのだから……。

でも、よくよく考えたら、こんなことを考えているのはおそらく日本人だけなのであろう(?)。
漢語なら(普通語の発音で示せば)“renjian”と発音されるだけである。
要するに、日本語で表現される“じんかん”も“にんげん”も、
漢語においては、大きくは一つの概念として示されているのである。

とすると、日本語は個体の「人間」と人の集合体としての「人間」を峻別して捉えようと
するところがある(?)のかも知れない。
その結果、「社会の問題は人間の問題である」といった言葉が出てくるわけだが、
でも、これって上のように見てくると当たり前のことではないだろうか。

……そもそも、人と人の間に生まれるのが「人間」である。
「人間」が「人間」を作り、その「人間」が「人間」を作る。
であるから、“い~な、い~な”ってうらやましがられる「人間」になることを祈る。
「人間」としてこれは至極当然のことだ。
(もう、なにが「人間」かわからない!)

で、ここまで書いてきてなんだが、この話、結論はない。
けっきょく「人間」というものがますますわからなくなってきただけである。

胎動に揺れる妻のお腹をなでつつ、「人間」の不思議を思うこの頃なのでした……。


編集部 I
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Comment
この記事へのコメント
人間獲得
ふと、真宗大谷派の北海道教区の方の名刺に「人間獲得」とあり、
「じんかん ぎゃくとく」とルビがふってあったのを思い出しました。

「じんかん」は敢えての漢音。
「ぎゃくとく」は敢えての呉音。

「にんげん」と「じんかん」。
人生と人世(じんせい)の違いに少し似てるのでしょうかね。

「自己とは何ぞや。これ人世の根本的問題なり」(清沢満之)
2014/ 07/ 18 (金) 10: 57: 14 | URL | 通りすがり # NCcnZXFM[ 編集 ]
通りすがり 様

私の書いたお目汚しの駄文を御覧いただいたばかりか、
さらにコメントをお寄せくださり、まことにありがとうございます!

ご教示いただいた北海道教区様の「人間獲得」という標語、いまはじめて知りました。
さっそく“親鸞Web”を拝見(http://www.shinranweb.com/index.html)いたしました。

じつは私の文章は、日本人が漢音と呉音をわざわざ分けて用い、意味を限定するあまり、
大きな問題を見失っているのではないか、という若干の批判を暗に込めているものです。
しかしながら、いま通りすがり様のコメントを拝見して自分の考えをあらためています。

漢音と呉音をあえて使い分けて意味を限定することによって、むしろ深長な表現となる。
「人間獲得」(じんかん ぎゃくとく)という語は、そのことを如実に示しているようです。
このような表現を考案された北海道教区様のご見識の深さをしみじみと感じています。

蒙を啓いてくださった通りすがり様に感謝申し上げます。

清澤満之の言葉について、私は不勉強ゆえ何も知りません。
弊社刊行の

清澤満之著、大谷大学真宗総合研究所編『臘扇記 注釈』(2008年5月、税込1,944円)
http://www.bukkyosho.gr.jp/?ISBN=978-4-8318-7668-3

を読めば、きっと少しずつわかってくるのではないかと感じています。
まずはこのあたりから勉強をはじめていきたいと思います。

今後も忌憚なきコメントをお寄せください。

本ブログが人と人の間をつなぐ議論の場となっていくならば、弊社としても望外の喜びです。
2014/ 07/ 19 (土) 00: 38: 37 | URL | 編集部 I # -[ 編集 ]
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