西村七兵衛の歴代の写真
2017年 09月 07日 (木) 21:40 | 編集
西村家のアルバムが出てきた。
その中に、歴代の七兵衛さんの写真が・・・
5代目4代目
      五代 七兵衛              四代 七兵衛
初代2代3代集合写真


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ちょっと気になってます
2015年 12月 11日 (金) 15:42 | 編集
12月11日…色々調べてみると、北村季吟の誕生日だそうな。
北村季吟は、江戸時代の歌人です。今、不思議な縁あって、ちょっと気になり始めている人物です(ニヤリ)

たまに歌も詠むakkii


プレゼントが財政を動かす
2015年 02月 23日 (月) 16:14 | 編集
時期が少しずれてしまって恐縮ですが、2月14日はバレンタインデーでした。
チョコやプレゼントをもらった方、あげた方おられるかと思います。

このプレゼントを難しく熟語で言うと「贈与」となると思います。
実は、今から約550年前には、この「贈与」つまりプレゼントが時の政権の財政を支えていたのです。

時の政権の名は室町幕府。京都に拠点を置いた武家政権でした。
この室町幕府は、土倉という金融業者(今で言う銀行や街金みたいなものと申せばよいでしょうか)から税金を取り、それを幕府の財源としていました。
ちなみに、幕府は独自の金庫を持たず、出納などもこれら民間の土倉に委託していました。

しかし、嘉吉元年(1441)に徳政令を求めた一揆が起こり、この土倉などは大打撃を受け、以降ここからの収入を幕府としても見込みにくい状況になりました。「金持ってるんなら、俺ら貧乏人を助けろよ!」と民衆は訴えたわけです(有徳思想)。

さて、財源の確保に困った時の将軍足利義政(銀閣寺で有名ですね)は、頻繁に行なわれていたある行為に注目します。
それが、先ほど申し上げた「贈与」なわけです。

当時、年末年始や将軍家の祝賀行事の際に、参賀する人々は将軍にお祝いのお金(折紙銭)を送ります。
折紙銭は将軍家へのものはかなり高額で幕府はかなりこの収入に期待していたそうです。

また、禅宗寺院を将軍が訪れる「御成」というのが頻繁に行なわれ、訪れた禅宗寺院から将軍へ引出物が「贈与」されます。この引出物の内容が次第に固定化し、御成を何回こなせば、どれだけの収入が得られるという計算が容易になっていきます。この手軽さと確実性に注目した幕府は、この御成での収入を他の寺院の修理費用に充てるという方法を思いつきます。
つまり、送られたプレゼントをそのまま他にあげちゃうわけです。今やると確実に嫌われるし、友達もいなくなってしまうような行為ですが、将軍からすれば、貰った物を横流しするだけで寺社の修理という将軍の大任を果たせるわけです。何と手軽なことでしょうか。

この他にも、禅宗寺院の住持就任の際の手数料など将軍に「贈与」されていたものの多くが幕府財政に充てられました。

以上からわかるように、足利義政の時代の財政は「贈与」に支えられたものだったのです。
これは「贈与依存型経済」と名付けられております。
普段私たちが何気なく行なう「贈与」、プレゼントですが、今から550年前には、政権の懐を支える重要な位置にあったのです。

「何と情けないことか…」とこれを知ったときには思ったのですが、私もよくよく考えれば、父宛にきたビールのギフトセットなどのビールで酒代を浮かしております。
私の酒代もある意味「贈与」に「依存」しているのかもしれません…。

今回の記事について、詳しく知りたい方は以下の本を是非お読み下さい。
今谷明『戦国期の室町幕府』(講談社学術文庫、2006)
桜井英治『贈与の歴史学―儀礼と経済のあいだ―』(中公新書、2011)

※「財政」という言葉をこの時期に用いるかどうかについては議論があるようですが、私ではそこまでわかりませんので、ここでは使用しております。
編集M

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