絵を通して、「仏教」を伝えたい とよだまりさん
2016年 09月 06日 (火) 23:59 | 編集
プロフィール:とよだまり…福岡県生まれ。京都造形芸術大学大学院修士課程修了。NHK連続テレビ小説『てっぱん』『純と愛』などで絵画指導を担当。二〇一六年には、法藏館より刊行の『カルダとウバカルダ』にて初の絵本挿画を担当。

絵を通して、「仏教」を伝えたい

 今号の「著者に会いたい」は、アクリル絵の具でキャンバスいっぱいに作品を描く気鋭のアーティスト、とよだまりささんをご紹介しよう。とよださんは、真宗僧侶でつくるクリエイター集団「コトイロ」とともに、新刊『カルダとウバカルダ』の挿画を手がけている。本作品にかける意気込みをうかがった。

「コトイロ」との出遇い

 『カルダとウバカルダ』は、仏教説話「共命の鳥」を題材としている。「コトイロ」のメンバーは改めてこの話を読み直し、「難しい」「とっつきにくい」というイメージを極力払拭した形で表現できないか、一年近く構想を練り続けた。「コトイロ」の考えてきたことをビジュアルで伝えられるのは誰か……そこで、とよださんに白羽の矢が立った。実はとよださんにも、「仏教説話の絵本をいつか手がけたい」という思いがあり、お互いの「やりたいこと」が一致したのだ。とよださんはいう。「ひとりぼっちになったときでも、この絵本を開いて安心できるものにしていきたいです。寂しくなったときに寄り添える存在になればと願っています」。

回り道――芸大から中央仏教学院へ――

 とよださんの実家は、福岡県のお寺だという。こどものころから絵を描くのが好きで、周囲に描いた絵を喜んでもらえたことが嬉しく、さらに描き続けた。やがて京都造形芸術大学に進学するまでになった。ただ、「やはり私の根っこにはお寺の生活があって、その環境で絵を描いてきたことにも何か意味があるんじゃないか」と、次第に自身を客観的に見つめる時間が増えた。そしてあるとき、宗教と芸術とのつながりを深く感じ、それを機に、京都にある中央仏教学院に進学する。「自分を包んできた「真宗」しかない、という感覚が良い意味で壊れました」という。いわば、とよださん自身の中での「真宗」のイメージが変化したのだが、それは「もう一度真宗の感覚に浸かり直したい」という、清新な目線で真宗を学び直すことだったようだ。

共に伝える・伝わる

 中央仏教学院を修了した後、とよださんの作風にも、色使いや作品の発想に少しずつ変化が表れるようになったという。それから「自分にとって「仏教を伝える」ってどういうことか? 布教ってどういうことか?」と、さらに自身を見つめるきっかけにもなった。ただ、とよださんにとって「絵を描く」こととは切っても切れない関係。やはり「絵を通して仏教を伝えていく」という答えに行き着いた。「制作中は、この作品をどうやって伝えるかを考えるので、自分との対話の時間になります。これから先も、ずっと私なりの仏教の伝え方を模索しながら描いていくと思います」。仏教の持つ「あたたかさ」を絵で表現していきたい――その思いの結晶である『カルダとウバカルダ』の完成に向け、現在ラストスパートをかけている。どうぞご期待下さい!

とよだまりさん
作風や世界観など影響を受けた作家に棟方志功を挙げるとよださん。(浄土真宗本願寺派総合研究所内にて)
140『ひとりふたり‥』 2016 報恩講号「著者に会いたい」に掲載


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震災ボランティアを、改めて考える 木越 康先生
2016年 06月 13日 (月) 23:26 | 編集
プロフィール:木越 康(きごし・やすし)一九六三年生まれ。一九九四年より大谷大学教員として着任し、二〇一六年四月より大谷大学長。著者は『「正像末和讃」を読む』(真宗大谷派大阪教区)など多数。

震災ボランティアを、改めて考える

 東日本大震災が発生してから早五年の歳月が経った。日頃の報道で見聞きする以上に、復興はまだ道半ばというのが実情であるようだ。
 さて、震災直後より復興支援活動に熱心に取り組んできた大学の一つに、大谷大学がある。年四回にわたり、バスをチャーターして約二十名の学生が現地でのがれき撤去や被災者との対話を続けてきた。その先頭に立ってきたのが、木越康先生だ。三月には新刊『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』を出版された。そこには、浄土真宗が震災にどのように向き合うべきか、思いの丈が綴られている。

ボランティアは、自力なのか?

 震災の年となった二〇一一年は、浄土真宗にとって親鸞聖人七五〇回御遠忌を迎える特別な年だった。東日本大震災は、正にその年の三月十一日に発生したのであった。
福島県への第一回目の復興支援バスが運行されたのは、五月だった。学生とともにがれきを撤去している中、こどもたちが野球の練習に出かける姿を目にする。地元の人々は、悲しみや苦しみの中で、日常生活を取り戻すべく生きようとしている中で、京都から来た我々は、日常を捨ててまで現地で支援することが良いのか? 学業や仕事も無理に休まず、あくまでも有志での活動を優先するのが大谷大学での復興ボランティアの特徴だ。
四回目の支援の時、ある学生からこのように話しかけられた。「これまで、支援バスに何度も乗ろうとして、乗れなかったんです。ボランティア活動が自(じ)力(りき)であるために、行きたいという気持ちにブレーキがかかっていた」と……。親鸞は自力的行為を棄て、阿弥陀仏に帰依することで救済される「他力の思想」を説いたのであり、ボランティアは人間的行為そのもの(自力)で、それは否定されるべきであるという考えが根底にあるために起こる問題だという。そのことへの違和と、真宗者としてきちんと議論したいとの思いが、本書を執筆するきっかけになった。

仏教者であること、真宗者であること

 隣人が困っている時、何とかして助けようとするのは、人として自然な振る舞いなのだろう。震災に遭遇すると、その気持ちが高まるのはなおさらだ。ただ、ボランティアが自力ではないか、という独特の発想の前に、その行動を躊躇させる要素が真宗にはあるのだという。そう思わない人にとっては、「なんだそれ?」ほどのレベルなのかもしれないが、「真宗的ブレーキ」の縛りは根強く残っているという。木越先生は、そうした特殊なブレーキについて理解はしながらも、「災害時、躊躇などの情動を抑えきれず、現地に向かい、眼を離さずそばに寄り添える人間でありたいし、学生にもそうあってほしい」と語る。「私たちは、ご縁で成り立つ世界の中で生きる存在です。仮に、そうした心理的なブレーキがかかったとしても、個々の人間の活動は止めることができないだろうし、被災した人も私たちも、悩みながらともに歩むことにこそ、「同朋」の意味が研ぎ澄まされてくるのではないでしょうか」。災害の多い日本にあっては、いつ誰が被災者になるか分からない。突然やってくる悲しみや苦しみにも、じっと向き合い、また寄り添えるか、今なお私たちに重く問いかけられている。

木越 康先生
4月から学長に就任。多忙を極める毎日だが「被災地へは、今後も極力行きます」と決意しているそうだ。(大谷大学内にて)

139『ひとりふたり‥』 2016 お盆号「著者に会いたい」に掲載 

生きづらい社会を生き抜くために  和田真雄先生
2016年 02月 10日 (水) 23:09 | 編集
プロフィール:和田真雄(わだ・しんゆう)一九五三年岐阜県生まれ。一般社団法人コミュニケーション クオーシェント協会会長。著書・講演会など多数。独自に開発した個性分析テスト(ACS)は、多くの人々から注目され、多方面で活用されている。http://www.cqa.or.jp/
ご著書: 『のこのこおじさんの 楽しくわかる阿弥陀経』 『 のこのこおじさんの 楽しくわかる正信偈
『 のこのこおじさんの 楽しくわかる歎異抄(上)((下) 』 『御文講座 末代無智の御文
報恩の念仏』 『暮らしの中の、ちょっと気になる話』 『私でも他力信心は得られますか?』 ほか

生きづらい社会を生き抜くために

 年々深刻化する「うつ」と「引きこもり」、「うつ」は年齢を越えて大きな広がりを見せ、「引きこもり」は高年齢化が進んで改善の兆しがなく、大きな社会問題となっている。なぜ現代人は、そうした状況に追い込まれるのか。生きづらい社会を生き抜くために、私たちはどうすれば良いのかを、和田真雄先生に語っていただいた。

ストレスを感じやすい性格は改善できるか
 
 和田先生は、自身がストレスを感じやすい心配性の性格のために、長い間心の落ち込みに悩まされ、ストレスを感じやすい自分の心を改善する道を探し求められた。ところが、カウンセラーになり多くの人の心を観察し、さらに個性についての研究が進む中で、ストレスを感じやすい性格というのは、容易に変えることが出来ないものであるということがわかってきたという。
 人間の個性は、きわめて幅の広いもので、さらにそれぞれに長所と短所を持っている。たとえば、ストレスを感じやすい心配性というのは、慎重に用心深く歩むという良い面がある。それに対して、ストレスを感じにくい楽天的な性格は、活発で前向きだけれども、向こう見ずという短所を持っている。そのため、個性というのは、気に入らないところだけを変えるということが出来ないものだったのだ。

自分の個性を受けいれ、自分らしい生き方を見つける
 
 たしかに個性は、それほど簡単に変えられるものではないが、自分の個性の特徴をしっかりと意識して、その個性に添った生き方をすれば、自分の持っている力を十二分に発揮できるものでもあるという。逆に、自分の個性を否定して、自分にはなじまない生き方をすると大きなストレスを感じ、さらには破綻してしまうものでもある。それがわかってから、先生は、ストレスを感じないように自分を変えるということを止めて、自分の力を発揮できる生き方を見つけて、ストレスを最小限にするというカウンセリングをするようになった。
 心配性の自分のありのままを受け入れ、心配性の良い面をしっかりと意識し、自分の個性に添った生き方を見つけることで、自分らしい生き方ができるようになれば、ストレスを最小にすることができるという。
 ところが、「引きこもり」の人の場合は、家から出られず、簡単なアルバイトすらできない自分を受けいれなければならないので、自分を受けいれるということが、とても難しいことになる。そのために、丁寧にその人の個性を説明し、さらに個性に善い悪いはないと話しながら、「確かにそれが自分の姿だ」という自己受容に導くことを心がけておられるという。
そのようなカウンセリング活動を続ける中で気づかれたことは、「どのような人間であっても、自分のありのままの姿を受けいれることが、健やかな自分らしい人生を生きる原点であるということがわかりました」ということだった。先生のご活躍の場は、さらに広がりそうだ。
 
和田真雄先生
「すべての人が、自分らしい健やかな人生を取り戻すことを願って、これからもカウンセリング活動をしていきます」
(法藏館編集部内にて)
138『ひとりふたり‥』 2016 春彼岸号「著者に会いたい」に掲載

「学びの姿勢」を問う 小谷信千代先生
2015年 12月 02日 (水) 23:35 | 編集
プロフィール:小谷信千代(おだに・のぶちよ)一九四四年兵庫県生まれ。大谷大学名誉教授。
ご著書:『真宗の往生論』(法藏館)、『法と行の思想としての仏教』(文栄堂)など多数。

 今年五月に刊行された『真宗の往生論』(以下、本書)が、ずいぶん話題を呼んでいる。「親鸞は現世往生を説いたか」と、真宗の根本的な問題に迫り、これまでの学説を徹底的に検証した書だが、これまでにないアプローチに大きな反響を呼んでいる。著者の小谷信千代先生に、本書の執筆への真意を尋ねてみた。

きっかけは、安居から

 小谷先生は仏教学の専攻だが、具体的にはどんな研究内容なのだろうか。「インド仏教の文献の解読と研究をしています。今も大学で、協同研究者と一緒に読んでいます。昔の文献を読むわけですから、内容の吟味は欠かせない。そうすると、ある程度批判的な姿勢で読まざるを得ません。大学院の時にそのことを学んで以来、ずっと大切にしている姿勢です」。
 今回、なぜ真宗学の専門書に取り組もうと?「三年前、安(あん)居(ご)(江戸時代から続く、二週間にわたって集中的に聖教(しょうぎょう)を学ぶ)の講師を拝命した時、「世親(せしん)の浄土論の諸問題」という題で講義をしました。そこから、親鸞聖人の往生論にも触れることになり、その内容が縁となって今回の出版に至っています」。そして刊行後、本書は宗内外で注目を集めることになるのだが――。

「現世往生」って、実感できますか?

「よく「行間を読む」というでしょ。『教行信証』でも、行間を読んで、親鸞聖人の思いを読み取ろうといわれます。でも、そういう作業って結局厳密に読まないとできない作業ですよ。それをせずに、自らの経験や感覚を当てはめて語ることをもって「行間を読む」というのは、私にいわせれば「学問的」ではない」。鋭い指摘だ。現代の教学に対して大いに問題があると感じられている?「そうです。たとえば、「現世往生」というでしょう。現世で往生するといってもそれを実感できますか?近代の教学者は、「真実の信心を得たら、往生は脚下に来ている」とか「今、世界が浄土に包まれている」という表現をするわけですが、親鸞聖人は、「真実の信心を得ると、往生が定まる」、つまり往生が保障されると説いており、今生きている私が「往生する」とは説いておられないんですね。親鸞聖人の言葉をきっちりと読んでいないことから出た誤りだと思います」。やはり、文献を厳密に読んで理解することに尽きるということなのだろう。

信仰は、自分らしくあれる 唯一の部分

 小谷先生は、大谷派の寺院の住職でもある。ただし、学問をする上では、信心は厳密に区別しておられるようだが……?「いや、それは違います。信仰と学問は決して別物というわけではなく、むしろ自分の信仰を「確かめる」ために研究するといってもいいかもしれない。「自分らしくあれる 唯一の部分」はやはり信心なわけですから、やはりそれを聖典に尋ねて厳密に読まないといけないわけです。もっとも、近代教学者の先達の言葉にも響くものはたくさんあります。でも、問題があればきちんと批判をしないと学問は発展しないのです」。
 小谷節ともいうべきこの熱い思いは、本書の中でも遺憾なく発揮されている。是非、本書を手にとって、真宗教学の「今」に触れていただきたい。

小谷信千代先生
小谷先生は落語と犬が好きな一面も。好きな噺家は、桂枝雀。「もうすぐ門徒さんのうちに新しい犬が来るんです」と笑顔が印象的でした(法藏館・編集部内にて)。
137『ひとりふたり‥』 2016 正月号「著者に会いたい」に掲載


常に原典を尋ねて 藤田 宏達先生
2015年 09月 08日 (火) 17:21 | 編集
プロフィール:藤田 宏達(ふじた・こうたつ) 一九二八年北海道生まれ。北海道大学・札幌大谷大学短期大学部名誉教授。真宗大谷派北海道教区報徳寺住職。
ご著書:『梵文無量寿経・梵文阿弥陀経』、『新訂 梵文和訳 無量寿経・阿弥陀経

 私たちがよく耳にする『無量寿経』や『阿弥陀経』は、どのようにして日本にもたらされ、そして今日まで伝えられてきたのだろうか。藤田宏達先生は、これらの経典を半世紀以上にわたり研究されてきた斯界の第一人者だが、「常に原典を尋ねる」ことを、何よりも大切にされてきた。

アメリカで浄土教に出会う?

 藤田先生が浄土教研究を志すきっかけとなったのは、留学先のアメリカ(ハーバード大学)にあったそうだ。「私は十代に父母を失ったので、大学(東大印度哲学科)を卒業したら、自坊に戻るつもりでした。でも主任教授の宮本正尊先生のお薦めによって、結局大学に戻ったのです。当時は辻直四郎・花山信勝・中村元先生など、第一級の錚々たる学者がおられました」。これらの先達に導かれ原始仏教の研究に着手した先生は、昭和三十五年(一九六〇)にアメリカへ二年間留学を果たす。「アメリカでは仏教といえば、鈴木大拙先生の影響もあって、禅に対する関心が強く、浄土教は本格的な研究がなされていませんでした。そこに違和感を感じたことが取り組んだきっかけですね」。そこからの先生の熱意がすごい。関係史料・原典を徹底的に収集し、帰国後の一九七〇年に岩波書店から『原始浄土思想の研究』を公刊、それが日本学士院賞・仏教伝道文化賞の受賞となった。さらに『浄土三部経の研究』の刊行に結実。浄土教研究の専門家として、国の内外に広く知られるようになった。法藏館では二〇一一年に『梵文無量寿経・梵文阿弥陀経』を出版し、さらにその校訂本にもとづいて、今年の五月には『新訂 梵文和訳無量寿経・阿弥陀経』を刊行された。「親鸞聖人の九十歳まであと二年半、もう一冊、原始仏教に関する本を出すのが目標です!」驚くべき盛んな研究意欲である。

原典を忠実に読んで見えてくるもの

 藤田先生は原典研究を行う際、常に大切にしていることがある。それは「経典を可能な限り忠実に読むこと」なのだそうだ。「お経というのは、そもそも口頭や筆写によって伝えられてきました。だから、『無量寿経』『阿弥陀経』も様々な写本が伝えられており、それぞれの伝承を広く参照して丁寧に読んでいくのが大事です。親鸞聖人も『教行信証』で、多くの漢訳異本や経論を参照・引用して自釈を述べられています。今日でいう文献学的な手法をとられていたのですね。この点、現代の真宗学においても、親鸞聖人の経典の学び方・手法について、もっと習うべきところがあるように思います。いずれにしても、原始仏教や『無量寿経』『阿弥陀経』の文献学的解明は、真宗のみならず日本仏教の鍵を解く上でも、重要なテーマなのです」。
 私たちは、とかく流行しているものになびきがちだ。そうした中にあって本質的なものを見極め続ける作業は、大変な集中力や忍耐力を要することだろう。「原典を尋ねる」ことは決して楽な作業ではないかもしれないが、「仏教とは何か」を考える際には避けて通れない大きな課題であることが改めて分かった。

136『ひとりふたり‥』 2015 報恩講号「著者に会いたい」に掲載

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