地獄から見る人間の姿 梯信暁先生
2018年 02月 13日 (火) 17:32 | 編集

梯信暁先生プロフィール:一九五八年大阪市生まれ。大阪大谷大学教授。主著に『新訳往生要集(上・下)』、『インド・中国・朝鮮・日本浄土教思想史』(いずれも法藏館)など多数。 


 閻魔王に舌を抜かれ、針の山や鬼の責め苦にのたうち回る……。「地獄」と聞くと、おどろおどろしい世界を思い浮かべる。こうした地獄のイメージは、平安時代の僧、源信が書いた『往生要集』という書物での描写に負うところが大きい。今回ご登場頂く梯信暁先生は、この『往生要集』を十年間かけて現代語訳し、昨年法藏館から刊行された。発売直後から大好評で、書店でのトークイベントにも多くの読者が来場した。『往生要集』の魅力について梯先生に語って頂いた。

 

苦心の末に全体を訳し直す

 

 元々は、『安養集』という浄土教の典籍を研究されている梯先生だが、この全貌を知るには、『往生要集』をマスターする必要があったという。そこで、過去の研究者の訳を何度もひもといたが、表現や用語など難解な箇所が多く、読み解くのに苦労されたという。「今回の現代語訳では、私の若い頃の苦心も踏まえて、本文はとにかくやさしく訳すことを心がけました。ですが、どうしても仏教用語などには註が必要になります。表現は平易さを意識しつつ、註には最新の研究を盛り込むなど、かなり詳しく仕上がったと思います」。構想に十年を費やした『新訳往生要集』は、「浄土や地獄のイメージを分かりやすく伝えたい」という梯先生の思いが実を結び、博物館や一般書店でも大いに話題を呼んだ。

 

地獄は一定すみかぞかし

 

 現代人にとっては、地獄や浄土は縁遠い存在のようにも捉えられがちだが、本書の好評ぶりを見ると、やはり心のどこかでそうした世界に惹かれているのだろうか。

「仏教の世界では、地獄とはこの世で罪を犯した人が自ら思い描く世界と考えます。大切なのは、罪の自覚への有無といえるでしょうか。その自覚がない人は、犯した対象へも償いようがないですが、罪の自覚が芽生えると、地獄のイメージが立ち現れます。だから、極楽往生のために善行を積もうとします。私が思うに、地獄とは生き方を変えるきっかけになる存在かなとも思います。子どもたちは、お寺にある地獄絵図を怖がりながらも興味深く見ますね。ビジュアルに惹かれるのももちろんですが、罪の意識が大人ほど強くはないともいえるわけです。大人になると、誰だって、それが実体的ではないと分かっていても、地獄のような場所に行きたいとは思わないでしょ(笑)。「現世での行いによって、こんな地獄に堕ちてしまう」と『往生要集』にも説明があるし、大人であれば誰にでも思い当たることがあるからです(笑)。

『往生要集』には、実は地獄の描写はそんなに多くないんです。むしろ、それを避けて浄土へ行くための方法が具体的に書かれています。『歎異抄』に「地獄は一定すみかぞかし」という有名な一節がありますね。少しの修行も出来ない自分は地獄が住処となって当然だ、という親鸞の苦悩です。『往生要集』は、読者の人生が地獄に向かいつつあることを気付かせ、その生き方を修正して、極楽へと方向転換してゆくことを勧めた書だと言えます。親鸞は源信の執筆の意図をそのように理解したのだと思います。」。

惨たらしい地獄の様子は、この世を生きる私たちへの戒め。本書で地獄・極楽の世界を散策しながら、「私ならどう生きるか」を考え直す機会としたい。

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趣味は落語を聞くこと。「桂米朝師匠の「地獄八景亡者戯」はよく聴きました」。(法藏館編集部にて)
146『ひとりふたり‥』2018 春彼岸号「著者に会いたい」に掲載。



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真宗門徒の伝えてきた言葉 三島清円先生
2017年 11月 28日 (火) 18:36 | 編集


プロフィール:三島清円(みしま・きよまる)一九四九年岐阜県生まれ。一九七九年ハワイ開教区の開教使として約十年間渡米。現在、真宗大谷派西念寺住職。同朋会館教導。


真宗門徒の伝えてきた言葉

今年七月に刊行された『門徒ことば――語り継がれる真宗民語――』が、予想以上の反響を呼んでいます。刊行後約一ヶ月で重版、特に真宗門徒の方々に好評を博しています。著者の三島清円先生に伺いました。



(歴史の結晶)本願の土着化としての「門徒ことば」

本書はどのようなきっかけで書かれたのでしょうか?
「永く語り継がれてきた門徒ことばが近年死語化しつつあることへの危機感が、執筆の動機です。今回、この本が多くの反響を頂いているのは、全国の門徒の中に今なお「門徒ことば」が命を保ち続けて来たことの証明ではないかと、真宗の未来に私なりの光明を感じています」。


い真宗の歴史の中で育まれてきた結晶として、門徒ことばがあるわけですね?
「そうですね。最近、「おもてなしの心」「心くばり」などの言葉がメディアで取り挙げられるようになりましたが、それらの言葉の背景にも「門徒ことば」を生み出して来たような土着の真宗文化や仏教文化があるように感じています。もしこの国に、世界に誇れる美徳があるとすれば、それは仏教が長い時間をかけて育んで来たものに違いありません。その意味では、今回の本はわたしが書いたものと云うよりも、全国の門徒の遺産が書いたものともいえます」。


海外の生活から学んだ言語の問題


ところで先生はハワイやロサンゼルスで開教に従事されてきましたが、海外でも「門徒ことば」に相当する言葉はあったのでしょうか?


「私が開教使だったのはハワイでの二年間だけで、ロスに移ってからは旅行会社に勤めながら個人的に開教をしていました。しかし日系の門徒たちが「門徒ことば」のようなものを使っていたかどうかは記憶にありません。移民から三世四世の時代になっていて、日本語はすでに片言でしたからね。ある開教使は、念仏のこころをI am sorrythank youだと説明しておられました。sorryに気づけなければthank youが出てこない。二種深心ですね。この心持ちを正義に立ちやすい彼らに伝えることは難中の難でした。


また、翻訳にも苦心しました。御文は「それ」から始まりますが、その「それ」は「listen」と訳すんですね。それから、「念仏申せ」という言葉もなかなか深い。数年前、ある補導さんがブラジル生まれの開教使さんに「念仏申せ」は「Say Namuamidabutu」と云うんですかと尋ねたことがあります。するとその開教使さんは「Accept Namuamidabutu」だと答えました。「Accept」は「受ける」という意味です。わが身にナムアミダブツを受けたら、ちゃんと念仏が申せるじゃないか、という意味です。「Say」と訳したら単なる命令になってしまうのです。西欧の言語や哲学を通して初めて、こちらの言葉の世界が見えてくる。そういうことを外国生活で学びました」。


長い時間をかけて培われてきた言葉も、使わなければ消失してしまいます。三島先生は、そうした危機感の中で本書を刊行されました。是非一度手にとって、「門徒ことば」の世界を味わいたいものです。

 








三島先生近影

 

 

三島先生の自坊での夏休み子ども会(2016年7月、ラジオ体操の後)にて。
145『ひとりふたり‥』 2018 お正月号「著者に会いたい」に掲載

布教人生六十年  澤田秀丸先生
2017年 10月 03日 (火) 09:40 | 編集
プロフィール澤田秀丸(さわだ・ひでまる)一九三四年大阪府生まれ。真宗大谷派清澤寺前住職。著書に『御文講座 聖人一流の御文』『浄土和讃の教え 上』など多数。今年九月には『浄土和讃の教え 下』を出版(いずれも法藏館より)。

布教人生六十年

 浄土真宗では、日々の勤行で、『正信偈』とともに「和讃」が唱和される。耳慣れたメロディーながら、唱えられている言葉の意味はよく分からない…そんな悩みを解消するべく、このほど『浄土和讃のおしえ』(下)が刊行された(上巻は二〇一六年四月刊行)。著者の澤田秀丸先生は、真宗の布教一筋に、全国を飛び回ってこられた。学者の世界とは違う、ご門徒の方々に密着した仏教者の役割を常に考えてこられた澤田先生にとっての「仏教の伝え方」をうかがった。

日夜布教に励む日々

 「日常の生活の中で仏の教えをともに味わっていく。これが布教に携わる者の使命ではないかと思います」。インタビューの冒頭より、キッパリと話される。「布教の仕事というと、教えをご門徒に話し伝えていく、とイメージされるかもしれません。確かにそれは基本でありますが、心がまえとしては、布教は教えを布(し)くと書くように、阿弥陀様が教えを布き述べて下さっているそのお手伝いに寄せて頂く、というのが一番大切にしたい心です」。澤田先生は、二十四歳で住職を継職した後、船場(姫路)・広島・茨木・岡崎(京都)・旭川の各別院の輪番も勤めてこられた。また、そんな激務の最中にあっても、自坊では『正信偈』『歎異抄』をはじめとして聖典の法座を五十年間欠かさず開かれてきた。参加者の中には、第一回目から出席されている方もあるようで、それも「教化が口からついて出るだけのものではなく、生活全体から滲み出るもの」という、澤田先生の生き様がご門徒にも確実に伝わっているからだろう。

法は如来にあり、話は衆生にあり

 澤田先生をして、布教への熱意を抱かせたきっかけには何があったのだろうか。「私が学生の頃、日曜学校研究会という集まりがありましてね。それが二十七歳で迎えた大谷派の同朋会運動などにつながっていくわけですが、文字通り子どもに向けて仏教の教えをどう表すか、とにかく色んな議論・実践をしたものです。自坊でも紙芝居や人形劇などをやりましたが、その様子をこっそり見ていた先輩に、「あれでは難しすぎる」とか後で突っ込まれたりもしてね(笑)。でも、あの当時の模索が私の布教の原点になっているのは間違いないでしょうね。やはり、長年布教を続けていると、お寺の姿というのが見えてきます。熱心に聴聞に来られるご門徒のためにも、勉強は欠かせませんが、こればかりでなく境内から本堂のお荘厳にまで聞法の道場に整えていくことが大切だと思います。それも阿弥陀様のお手伝いと思えば苦になりません」。
 「法は如来にあり、話は衆生にあり」という。その間を取り持つのが布教使の仕事、という澤田先生の姿からは、長年の伝道生活から滲み出る法味が確かに伝わってきた。

澤田秀丸先生
澤田先生は、普段着も和服で通される。「四〇年くらいずっと和服生活です。インドへも和服で行きましたよ」(自坊の清澤寺にて)。
144『ひとりふたり‥』 2017 報恩講号「著者に会いたい」に掲載

研究ができるのも「支え」があってこそ 大谷由香先生
2017年 05月 10日 (水) 10:54 | 編集
プロフィール:大谷由香(おおたに・ゆか)一九七八年香川県生まれ。龍谷大学特任講師。二〇一七年二月に『中世後期 泉涌寺の研究』(法藏館)を刊行。

研究ができるのも「支え」があってこそ

 京都市東山区にある古刹、泉涌寺(ルビ・せんにゅうじ)。皇室の菩提寺、「御寺」(ルビ・みてら)としても名高く、桜や紅葉のシーズンには多くの観光客が訪れる。しかし、その歴史には不明な点が多く、また応仁の乱をはじめ度重なる火災により、古文書もあまり残っていない…。大谷由香先生は、そんな謎を秘めた大寺院の歴史を、新発見の史料などで解き明かした気鋭の研究者だ。
 
仲間の存在を「支え」として

大谷先生は現在、龍谷大学で「仏教の思想・教学史」を教えている。しかし先生は、もともと仏教学に強い関心があって進学したわけではなかった。入学後の講義も難しい内容ばかりで、しっかりと興味を持てるようになるまでには長い時間を要したという。「当時は、歴史や仏教文化をテーマにした授業に多く出席していました。思想や教学には、ついていくのに本当に苦労しました(笑)」。転機となったのは卒業論文の作成だった。そこで研究の面白さに気づき、大学院への進学を決意する。大学院といえば、さらに深く学問を追究する場でもある。そこでついに仏教学を本格的に学ぶことになった。高いハードルに音をあげそうになったことは数知れず……しかし、きつい日々を共に過ごした同級生の存在が、先生の「支え」となった。「すばらしい仲間に恵まれたおかげで、あの時期を乗り越えられたと思います。今でも本音で話し合える貴重な存在です」。



研究の面白さにはまってからは、様々な研究者に導かれながら、次々に新しい発見を発表し、ついに『中世後期 泉涌寺の研究』を上梓するに至る。「この本は、『視覃雑記』(ルビ:したんざっき)という史料を素材に、泉涌寺がどのように発展していったかを調べました。泉涌寺の歴史は不明な点が多かったのですが、今回の出版により少なからず空白を埋められたかな、と思っています。もちろん、ここまで来られたのは多くの人々の支えがあったからこそです。それと、ようやく「仏教・真宗っていいなぁ」と思えるようにもなりました。お寺や仏教に反発していた時期もありましたけど、色んなご縁に恵まれたおかげで今があるとつくづく感じます」。
家族や同級生の存在、そして研究を続ける馬力と執念、そうした何本もの「支え」が先生の活動の原動力となっている。これからも着実に歩を進めていかれることだろう。

大谷由香先生写真
「いつか、女性・母親ならではの視点からみた仏教についても書いてみたいですね」と語る大谷先生。穏やかな語り口だが、その志は熱い。(法藏館4階にて)
143『ひとりふたり‥』 2017 お盆号「著者に会いたい」に掲載


碩学が語る歴史の魅力 礪波 護先生
2017年 05月 09日 (火) 10:37 | 編集
プロフィール:一九三七年大阪府生まれ。京都大学名誉教授。著書に『隋唐佛教文物史論考』(法藏館)など多数。

碩学が語る歴史の魅力

 三国志や水滸伝、そして李白や杜甫といった詩人の遺した漢詩は、私たち日本人にもなじみが深い。そして何より、中国の歴史は壮大な世界観に満ちている。その中国の歴史=東洋史を長年研究されてきた礪波護先生に、歴史の魅力についてうかがってみた。

理数系学生からのスタート

 礪波先生は東大阪市にある大谷派寺院のご出身だ。幼少の頃より中国の歴史に親しんでこられたのかと思いきや、元々理数系の学生として過ごしてこられたのだという。「高校時分、日本史と世界史の先生が京都大学出身で、その授業が大変面白かったのがきっかけですね。後、大学に入って専攻を決める時に、東洋史を選んだのもその影響があったでしょう。卒業したら高校の先生になろうと思っていましたが、指導教官の勧めもあって、大学院に進学してからは本格的に取り組みました」。先生はお寺のご出身ということもあり、東洋史を学びつつ、次第に関心は仏教史にも移っていったようだ。しかし、当時の指導教官にはこう言われたという。「仏教は面白いテーマだから、一度のめり込むと周りの題材がつまらなく見えてしまうから、後にとっておきなさい」と。東洋史・仏教史の奥深さをうかがわせるエピソードだ。
 ところで礪波先生のお父様は、布教使の傍ら、大阪教務所長や難波別院輪番などの要職を歴任され、常々「自分が学んだことは、後の学生や若い人にもきちんと教え伝えていくように」とおっしゃっていたという。研究者の道に進んでからも、東洋史という学問を、大学の中に閉じこめておくのではなく、一般の人々に広くを伝えていくことを心がけてこられ、高度な専門書とともに、多くの叢書や文庫本などでも東洋史の尽きない魅力を綴ってこられた。昨年九月に刊行された『敦煌から奈良・京都へ』(法藏館)も、シルクロードから日本へ伝わってきた文化や、東洋史研究の裏話など、歴史の魅力が縦横に語られており、一般書店での評判も上々だ。

歴史の魅力とは

 これまで、数多くの知見を公表されてきた礪波先生にとって、歴史学の魅力とは、どこにあるのだろうか。「文学や哲学など、人間の営みを追究する学問は、総じて歴史的なものです。その時代ごとに、私たちの先輩がどういう考え方をし、行動をとってきたのかを知ろうとする時、やはり歴史に謙虚に学ぶしかないように思います。過去に思いを寄せることで得られる教訓は、現在の私たちが生きる上でも意義があるのではないでしょうか」。現代の日中関係は、政治的には決して穏やかとは言い難い状況だが、こういう時こそ、歴史を長い目で見直すことが大切なのだろう。『敦煌から奈良・京都へ』で綴られた壮大な歴史秘話にゆっくりと思いを馳せてみたい。

礪波護先生写真
礪波先生のご趣味は古本屋めぐりとのこと。長年の経験と勘で「珍しい本をだいぶ集めましたねぇ」。(法藏館編集部にて)
142『ひとりふたり‥』 2017 春彼岸号「著者に会いたい」に掲載

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